沿革
美久会会誌創刊号(昭和38年9月刊)に立原健彦先生が寄稿された「美久会開始発刊に際して」に以下の記述があります。
「実は美久会という名前の名付け親は私でありまして、これは矯正学教室の榎本美彦先生の「美」と斎藤久先生の「久」を頂戴して付けたもので、歯列矯正を施術して「美しく久しく」ある様にとの意味であります。」
また、この僥倖を得た名をもつ美久会の誕生については、補綴部矯正科から矯正部に昇格して斎藤久先生が主任教授になった折に立原先生が医局長となり、その後、昭和15年頃に立原先生は補綴部に転部され、医局長を辞します。それから二、三年程過ぎて、医局長であった恩田先生と山本義茂先生と相談して誕生したとあります。第1回の会合の折に会長に推され、就任したとのことです。
山口秀晴前会長は美久会会誌2020に「美久会の始まりと継続」を寄稿しています。その中で、以下の一文を紹介しています。
山本義茂先生が、昭和58年(1983年)11月に美久会会員名簿を作製し、その中に次のような文章がありました。「美久会とは、東京歯科大学矯正学教室のO.B(O.G)会ですが、美久とは故榎本美彦先生の“美”と故斎藤久先生の“久”からなっており、両先生の偉業をたたえて命名したものです。発足は昭和12年です。この間、会長には立原健彦先生、吉井三郎先生のもとで、矯正学教室とともに発展をとげ今日に至っております。」
立原先生と山本先生の記述では6年前後の開きがあり、美久会創設がいつであったのかは、もう少し調べる必要があるように思います。
また、美久会会誌と講座のNewsletter、そして現在の美久会会誌の経緯についても書かれて居りますので、ぜひお読みいただきたく思います。(https://sites.google.com/view/bikyuukai2020)
また、立原先生からの歴代会長を列記すると以下のようになります。
初代会長 立原健彦(昭和6年卒、東歯医専)
2代会長 吉井三郎(昭和8年卒、東歯医専)
3代会長 山本義茂(昭和8年卒、東歯医専)
4代会長 瀬端正之(昭和29年卒、東歯大)
5代会長 椎名統治(昭和30年卒、東歯大)
6代会長 山口秀晴(昭和42年卒、東歯大)
7代会長 末石研二(昭和54年卒、東歯大)
昭和12(1937)年創立とすれば、令和4(2022)年には85周年を迎えたことになります。初代会長の立原健彦先生から代を重ねて、現在は末石が会長を務めています。この間の経緯もいずれ書ければと思いますが、講座の歴史に明るい方のご協力をお願いいたします。
美久会会長 末石研二(2022年11月2日)